爪を立てる

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シムカラリー2の魅力の一つに、そのルックスが挙げられると思います。前から見ると実に愛嬌のある顔で、見る人を和ませます。

 Simca Rallye2

斜め後方から見ると印象が一変します。この雰囲気は、まさに「昭和の街道レーサー」。

 Simca Rallye2

後ろから見ると、やはり口元が緩むのです。

どこか猫に似た車です。

爪を立て、威嚇することもありますが、殆どは日向で微睡んでいる。斜め後方から見たちょっとした毒気は、この車の素性を表すのでしょう。ノーマル然とした姿もよいですが、どこかチューンドカーの雰囲気を纏う車だと思います。

蹴る

 JSB1000 at Motegi

超望遠レンズにスローなシャッターで流し撮りは行います。このカットは斜めに流しているので、カメラボディまたはレンズ側の「手ブレ補正機構」はOFF。その分、少しだけ難易度は上がりますが上手く撮れた時は嬉しいものです。

知り合いのF1を撮影するプロカメラマンは、そもそも動いているものを止めて写すなんて意味が分からないと言います。原文ママではありませんが、おおよそそんなようなことを言ってました。写真ってどう撮ってもよいんだなあと感心したものです。彼は1/4秒で、F1ドライバーのヘルメットだけを止めます。それも400mmや500mmの超望遠レンズで! もはや神業としか言いようがありません。

上のカットはフルバンクしたマシンを起こしはじめ、スロットルは全開。最もトラクションの掛かるシーンです。ライダーであれば最も気持ちよい瞬間であり、物理的制約から解放されて、いわゆる"向こう側“に行ける感覚が漂う瞬間です。4輪もそうですが、タイヤの最大グリップで路面を蹴る、この瞬間がハイライトでありロマンではないかと思います。

写真をまとめる1つの秘訣として「そのシーンのピークを撮る」のがよいかな、と、個人的には思います。日本の風景カメラマンで第一人者の方が似たようなことを言ってました。「その土地の最も厳しい季節(シーン)を捉える」と。撮るものは違っても、同じようなものなのかもしれません。

厳密にはピークにジャストではなく、少しズラすことが多いと思います。音楽で言えば、半拍前に喰ってかかるか、後ろにもたれかかるか。ピッチでいえば4分の1ドロップさせるか。その方が糊代があって見る側も想像を膨らませやすい気がします。

上のカットは、厳密には「ほぼ全開」です。
ライダーは森羅万象と折り合いを付け、タイトロープの上のバランスで自分の身を無限に投じてる錯覚を覚えます。世のすべては自分の身方についた、と。

気持ちよさそう。

地上の戦闘機

 Kawasaki Z1

日本のバイクらしさが最も出るアングルを探してフレーミング。日本車は車もバイクも、やたらとエンジンの存在感が前面に出ます。それはルックスの面でも、乗り味でも。その理由はさておき、鉄の塊の古いカワサキに心惹かれます。いかにも無骨でロートルな印象ですが、レシプロエンジンを搭載した戦闘機を想起させます。

2輪のバイクは航空機の挙動に似ている面があると、2輪の世界最高峰クラスmotoGPのチーム監督が話していたことを何かのメディアで読んだ記憶があります。4輪のF1などは「いま」「なにが起きているのか」ということが割ときっちり把握できるようですが、2輪のバイクは「おそらくこんな状態だろう」といった断定できないシーンが多いようです。

飛びそうですが、旧式の2バルブ空冷4発。とてもそんなパワーは無いでしょうけれど。乗り手がエンジンの上に跨がるかのようなアピアランス、それをフレームしました。カワサキの空冷は本当に美しいエンジンだと感じます。

佇まい、手遊び。

 Porsche 911S

車を撮影する上で最も手っ取り早いのは、大きく捉えずに景色の中へ「置く」こと。

アップ目に捉えると、フレームにどの程度車両を収めるか切る場所は実にナーバスに。それは往々にしてピンポイントであり、外してしまうと途端に成立しないように常々感じます。

そんなわけで、迷ったら引いて撮ります。単に引いて撮るのであれば面白みがないため、できれば心惹かれるシチュエーションを探すことになります。これがまた難しいのですが、「ここに置くと面白そう」という目線で景色を見ることで脳内ロケハンを常々行い、その中から選んで実際にレンズを向けるという寸法です。

引いて撮ることで、テーマとしやすいのが「佇まい」。あまりフレーム的に作り込みすぎるとカタログカットのようになってしまうため、少し日常的な印象を誘因する要素を加味します。上のカットであれば、木立の根元、つまり水平基線をもっと下に持ってくれば空が拡がり、見たときの印象もかなり変わります。さらに作り込むなら、車をもう少し右に置いてもよいかもしれません。

捉えたいのは、車乗りと車の関係性。休憩なのか、煙草をくわえてぼんやり車を見つめるのか。愛車を上手く撮ろうとこの位置に立ち、オーナー故の少し前のめりな車への愛着が画作り(フレーミング)を少し野暮ったくするのか。

フレームしたかったのは、つまり車乗りのリアルな佇まい。オーナーを含めての。
写真は二次元的な光画であり、まさにそのとおりにしか画作りができませんが、その結果に行き着くまでは何をやっても自由。引いては見る側の印象(脳裏)までフレームに用いるという、なかなかの「手遊び」。このあたりが写真の面白さかなと思います。

形態は機能に従う

 Renault 4 GTL

ファインダーを覗いてフレームに困るのが旧いフランス車。「ん?」と一瞬、思考停止に陥ることがあります。

初見では線も面もおおよそ見たことがない処理で、頭が混乱します。手っ取り早く解決するにはフレームのど真ん中に置くこと。できればアングルをつけず、真っ直ぐに真正面から、または側面や後方を捉えてみます。すると、思考停止に追い込むその姿が実像として立ち上がってきます。

 Renault 4 GTL

こんな感じで。斜め後方からのアングルでもよくわかりますが真後ろからのアングルから見ると、まるで「おたふく」に罹ったようです。人の身体は頭部が一番細く、首から下は腰の辺りが最大幅となります。車内においてもダッシュボードを除いてシートが最も幅があります。居住性を最大限に考慮してこの形になったのでしょう。実際の車内は、決して広くはありませんが窮屈でもありません。外から見るサイズ感からすれば、むしろ感動を覚えるほど。

旧いフランス車を見ていて感じるのは、世間的に言われるいわゆる「格好良さ」に向かって、鉛筆を走らせていない気がします。ややもすると、ガワから描くのではなくウチから描いているのかもしれません。この表現からすると、ドイツ車が塊から削り出すのであれば、フランス車は立体的なパッチワークで姿が立ち上がってくる印象です。

フランス車もドイツ車も「形態は機能に従う」という言葉がよく似合うと思いますが、それは似て非なり。そしてファインダーを覗く際に、どちらも初見で困る車が多いような気がします。そして人にその姿を受け入れさせる、そんな力があるように思います。

光と影

 Matra Jet6

写真は光によって成り立ちます。

基本的にその場にある光で撮影を行いますが、人工的な光を当てたり、自然光であったとしても被写体に当たる光をコントロールして撮影することができます。

もう1つあります。感材(フィルムorセンサー)が受け止められる光の幅の中で、写真を見る人にとって、どのような具合の光に見えるかコントロールすることもできます。

現実の光景を見て、これらの要素を掛け合わせてシャッターを切ります。現実の光景に対して忠実な再現を目指すのか、それとも自分に見えた(感じた)ように写しとめるのか、ここはカメラではなく撮影者の領分となります。

好きな歌の詞に「どんな強い光にも ためらいの影はある」というフレーズがあるのですが、見た光をどのように感じたのか、そしてそれを見る人にどのように再現するか。写真は撮影者の心を写すものでもあります。

諦めの、小粋さ。

 AlfaRomeo Giulia Coupe

パリにて。35mmフィルムを2コマ分消費するパノラマカメラで撮影。

とにかく割り切ることがイタリアのような気がします。むしろ、諦めというべきか。イタリア車がジャケットなら、フランス車は肌着。

旧いヨーロッパ車は現代車よりもそれぞれお国柄が際だって、触れているだけで面白いものです。