車が最も美しい時間帯

 Caterham Seven Supersprint

日の入り後、15分から25分程度の10分間。この時間帯が自分にとって車が最も美しく感じられる時間帯です。このピンポイントの10分間だけは、車のカラーリングがきちんと識別できながらも、夕闇の中にシルエット(影絵)とならず収めることができるのです。じっと眺めていたい至福の10分間。とはいっても、いつも忙しなくファインダーを覗いているのですが。

この10分以降は、ボディもどんなカラーリングであったとしても藍の一色に染まっていきます。これはこれで美しいのですが、光量も含めてシルエットになってしまいます。

基本的には、日没後25分程度まではディテイルを明るめの露出で捉え、それ以降は全体像を暗めの露出で捉えます。写真に収めずとも、どちらのシーンも車が本当に美しく見えるこの時間帯が好きです。

質感を捉える光

 Kawasaki Z1

撮り手ならば誰しも光には感度が高いと思うのですが、自分もそれぞれの光に対してのアプローチがあります。このカットのような強い順光の場合、たとえば車にしてもバイクにしてもその姿全体を写し込むことは基本的に行いません。どちらかといえば上のカットのようにディテイルを捉えるようなフレームとします。

順光は被写体に対する正面からの光です。被写体に正対して撮影すると、どうしても被写体の立体感が失われます。それを嫌って斜光気味の光線状態を望むのが一般的だと思います。その方が立体感が得られやすいからです。反面、光量が豊富で回ってる状況なので、ディテイルを仔細に捉えるには絶好の光だと思います。その順光の特性を活かして、ディテイルを捉えるフレームに、加えて少しだけ斜めから被写体を捉えます。光線角度は変えることができませんが、被写体に光が差し込む様を斜めから自分が動くことで捉えることができます。このアプローチであれば、ディテイルをくっきりと浮き上がらせることができて、幾ばくかの立体感も得られるように思います。「質感を捉える」そんなときにこんな光を選びます。

フレームが持つ世界

 Mercedes-Benz 250C

パノラマという「枠」が好きで、本当によく撮ってきました。街中のスナップ撮影が殆どで、一番使い道の多そうな風景や好きな被写体である車やバイクは殆ど撮ったことがないのですが。

写真にはアスペクト比というものがあり、最もポピュラーなのが35mmフィルムの「3:2」。自分は「6:7」「4:5」という少し縦横比が近接した中途半端なアスペクト比が好きです。そして、このパノラマ。フレームの中では最もぶっ飛んだフレームだと感じます。

それぞれのフレーム(枠)に、それぞれ自分なりに感じる世界があります。自分の好きなアスペクト比のフレームを使い切ろうと思うと凄く難しいものばかりで、あまり上手く撮れたためしがありません。いわゆる相性はよくありませんが、単純に好きなのでしょう。

どんな物事もそうだと思うのですが、思い通りにならない、しかし好き。そんなことを見つけられると面白いのかなあという気がします。

スタンス

 Caterham Seven Supersprint

このサイトではひたすら車とバイクの写真を掲載しているわけですが、決して車とバイクばかり撮っているわけではありません。とはいっても、好きなもので、圧倒的にそればかりではありますが。

自分が撮ったカットをこうして並べて見ると面白いなと思うのが、人物を撮っても車やバイク達とレンズの向け方がたいして変わらないところ。むしろ人物と同じぐらいに考えているんじゃないかと本人的には感じてしまいます。

自分の写真を並べてみるというのも、面白いものです。

車の撮影における超広角レンズの選択

 Porsche 911 GT3 Cup

車の撮影で最も好ましいと思われる焦点距離は135mmだと思っています。人が肉眼で見た形に最も近く描写されるような気がするからです。

逆に広角レンズというのはあまり用いません。描写のデフォルメ感が強くなりすぎるためです。それでも室内を撮影する際には、超広角レンズを使用することがあります。このカットは15mmで撮影したものです。狭い室内を収めるのにはこれぐらいの画角の広さがどうしても必要となります。

望遠側はさほど高価でなくともよい写りをするものが多いのですが、超広角だけはそうもいかないことが多いのです。超広角でも自然な描写をするものはあって、そんな写りのレンズは総じて高価なのが頭の痛いところ。このカットを収めたレンズも大変高価なもので、購入当時はなかなか財布がお寒い状況に。しかし結果として長く使うことになり、よい投資だったと思います。

苦手な車、ケータハムセブン。

 Caterham Seven Supersprint

レンズを向け、なかなかフレームが決まらない車がたまにあります。その筆頭が「ケータハムセブン」。その理由は未だによく分かりません。恐らく、この車のフォルム自体がキャラクターの塊だからだと思うのですが。。。

音のない景色

 Oita , Japan , 2008

ファインダーを覗いていると、一切の音が消えるときがあります。実際にはそんなことはないのでしょうが、感覚的な話としてです。実はよくあることで、それだけ撮影にのめり込んでいる証拠なのでしょう。

上のカットのときもそうでした。女の子の体温や鼓動が感じられる、そんな錯覚です。

撮影後PCのモニタで上がりをチェックしていると、女の子の足下の波紋に目がとまりました。写真も結局のところ「波動」なんだなあと妙に感心したのを覚えています。怪しげに聞こえそうなので「Beat」とでもしておきましょうか。

Instance

DSC00257.jpg

たまには車やバイク以外の写真の話も。

1フレームの中に同居したシーンが多ければ多いほど、見返すのが面白いカットだったりします。フレーム時に入り込んだおおよその人物は、位置関係を見ながらタイミングを計ってシャッターを切っているため覚えています。しかし、画面中央の鼻の辺りに手を当てている人は記憶にありません。最初、自分が映り込んでいるのかと思ったぐらいでした。※なぜ横位置のカットで、縦にカメラを構えてるんだろう、と。

ドイツで昨年撮影したカットですが、どこの駅であるかまでは覚えていません。どこの誰達が写っているのかもわかりませんが、撮影者自身がどの場所で撮ったのかすら覚えていないのです。まさに世はインスタンス、だからこそ一期一会なんて言葉があるのかと、なんとなく気に入ってるカットの一つです。

たくさんの「いいな」

 Vantec Zil Noble

小さな頃に叔父さんが大きなワンボックスを借りてきてくれて、車中泊とテントを張るキャンプに連れて行ってくれたことがあります。叔父さん叔母さん、従兄弟2人、我が家兄妹2人、合計6人。

狭い車内で川の字になって寝るわけですが、移りゆく景色に、外での自炊、満天の星空の下に宿る。キャンプは大人になっても楽しいわけで、子供なら大喜びなわけです。走る車内での皆の表情をいまでもよく覚えています。

海外ではモーターホームと呼ばれるキャンピングカー。日本でも高速道路を走る姿を近年たくさん見かけます。車列の中でも、なんとなく違う時間が流れてる雰囲気。その姿に自分の小さな頃の思い出が過ぎり、たくさんの荷物と「いいな」を積んでるんだろうなと感じるのです。

いろんな形と、いろんな好き。

 Dodge Royal Sportsman

世の中にはありとあらゆる形をした車が走っています。同じ4輪でも用途に応じて分かれ、同じ用途でも様々なモデルが道を走ります。そう、まさにカラフル。その一つ一つの「色」に、それぞれの世界が宿るのでしょう。そう考えるととても豊かな話であり、できる限りの車を見てみたいと思うのです。

視点を変える、視界が変わる。

 Vantec Zil Noble

車の撮影にドローンを使うことがあります。手でカメラを持つように、高度と向きでアングルとポジションを決め、フレームの微調整は機体を前後させます。

写真の面白さの一つに「見たことがないものの新鮮さ(を見せる)」ということが挙げられますが、高度やアングルの違いはもっともわかりやすい類いのもので、当然撮る側も見る側もわかりやすく面白いと思います。

車を鳥の目で見ると、地上で手にカメラを持つのとは全く違う表現を考えることになります。つくづく持つ視点・視座・視界で取り組むべき事はガラッと変わるものだと感じさせられます。

雨に濡れるA112

 Autobianchi A112

パリのノートルダム大聖堂近く、サンルイ島の路地に停まっていたA112。

何とも言えぬ愛らしい車で、それ相応に撮ることもできたのですがあえてこのようなフレームで。まるでWAXなんて効いていないし、ボンネットもフェンダーもボコボコと凹み、フレーム外ですがバンパーも傷だらけでした。パリは狭い街で、路上ではサイドを引かずに駐車するそうです。そして車両間隔を開けずに、むしろピッタリとバンパーが接触した状態で駐車されているのをよくみかけます。サイドを引かない理由は「押せるように」。雨が降る中「らしいな」と思いながらシャッターを切ったカットです。

世界でいろいろな車を見ると、日本だけが本当に異様と言えるほどに車が綺麗です。我々日本人はヨーロッパ車にある種の憧れを抱くのですが、彼の地では車とはわりとこのようなもの。雨に濡れるA112、格好良かったです。

ファインダーを通して見る、ポルシェ911という車

 Porsche 911S
 Porsche 911 Carrera (997)

ポルシェ911ほど、姿形が殆ど変わらずに現代まで生きながらえたスポーツカーも珍しいと思います。上のカットは901型、ホイールベースが伸びる前のモデル。下は、997型です。

このモデルについてのメカ的な話は、素晴らしい解説がなされたものがたくさんあるためここで触れることもありませんが、2台の911を単純にフォルムだけで見比べてみると、初代で一旦完結したモデルなのかなと感じます。

まったくの持論ですが、歴代911は以下のように区分けられるように感じます。

  1. 901型-993型

  2. 996型-997型

  3. 991型-992型

とても大雑把な区分けですが、おおよそフリークの皆さんのコンセンサスはこのあたりだと想像します。993型までは空冷、996型から997型は空冷の影を引きずりつつの水冷化、991型から完全に新世代という印象です。これは単純にファインダーを覗いて、その形態を見ても感じることです。そんな意味では、911は長い歴史の中である意味2つに区分けられるのかなと感じます。

  1. 901型から997型まで

  2. 991型から992型まで

とても乱暴な話かもしれません。しかしレンズを通して見える姿は、そんな区分けに感じるのです。

これまでの変遷を振り返ってみれば、ポルシェは911を実に慎重に変えてきたと思われます。たとえば996型。登場時はあれだけガラっと変わった印象を受けながら、いまあらためて見つめてみると実にクラシカルに感じます。大きく変わって感じたのはヘッドライトの形状などですが、フロントウインドウはかなりスラント、フェンダーの峰も随分高さが下がりました。997型で往年の丸目に戻りましたが、形状自体はかなりの楕円であったりします。いま思えば、996型・997型の2世代を挟んだからこそ、991型で大胆にホイールベースを伸ばすことに成功したと思います。何に成功したか。それはユーザーからの反発を抑え込むことに。

ホイールベースの延長とトレッドの拡大は、増大するパワーに対応し、RRならではのクセを消し込むのに必要だったのかなと感じます。結果的に991型は、901型以来に均整が取れたプロポーションになったと感じます。モデルチェンジ事に薄まっていったとは思いますが、結局の所911という車は901型の影にずっと引きずられてきた車なのだろうなと感じます。それだけ世界中で愛されてきた車という証拠であり、901型のインパクトが大きかったのだと思います。

ポルシェ911という車を見ていると、カメラのライカM3を思い浮かべます。二重像合致式のいわゆるレンジファインダーカメラですが、ピント合わせの仕組みは測量の仕組みと似たようなものです。発売当時、あまりの完成度の高さから他メーカーはレンジファインダーカメラを諦め、結果的に一眼レフの開発にリソースを集約しました。ライカ社といえば、あまりに素晴らしいライカM3というモデルの亡霊に悩まされることになります。世の主流はとっくに一眼レフですが、ライカ社にユーザーが求めるのは「M3的なもの」。ポルシェもライカも同じドイツの会社ですから、そこに思いを馳せるとなかなか面白いものです。ポルシェ911は、あまりに愛されてきたが故に今も変わらず存在しています。しかしポルシェ社を長年苦しめてきたモデルであるかもしれません。

ファインダーを覗いて911という車を見ると、やはり901型の姿に心惹かれます。そして、持論の中の第一期911の完成形とでもいうべき997型に惹かれます。997型はどこか抜けきれない野暮ったさも同居します。そんな姿に愛着を感じるのです。

車を停めて撮るのは、なかなか難しい。

 Renault 4 GTL

車を撮影するロケーションのレパートリーはさほどなく、いくつかのポイントで「またここか・・・」と思いつつ撮っています。よいロケーションはたくさんあると思いますが、街中で交通量があれば平然と停めて撮影するのも憚られます。そもそも厳密には法規上の問題も絡んできます。撮影内容によっては関係各所へ許可申請が必要に。なかなかポンと停めて撮影できる気軽さはありません。

そうなると郊外での撮影が必然的に多くなりますが、たとえば海辺で撮るのも実は簡単ではなかったりします。まずコンテナが積まれるようなバースで水際に近づくことは港湾関係者以外は基本的にできません。車を置いて撮るには絶好のロケーションなのですが、然るべき許可申請と対価が必要となるでしょう。純粋に一般の人々が近づける海辺といえば他にビーチなどがありますが、観光地であれば波打ち際まで車を寄せることはほぼ不可能です。公営ビーチでは波打ち際までそもそも車を乗り込むことが物理的にできなくなっていることが大半です。それ以外のビーチは実は私有地だったり。そんなわけで首都圏近郊で波打ち際で撮影を行うのはなかなか難しいのですが、ある一帯だけわりと撮影しやすいポイントがあります。それは千葉県の東京湾側。公営のビーチが殆どですが、首都圏とは思えないほど地方の海のような雰囲気で、波打ち際近くまであっさり車でアプローチできます。トップシーズンはともかく、殆どは人もまばらで、その関係上絶好のロケーションとなるわけです。これが太平洋側のビーチとなると観光地であり撮影できるポイントは限られてきます。海は天然のホリゾント。もっと気軽に停めて撮影ができればよいのですが、たくさんの人々が住む地域では致し方ない話です。

そんなわけで暇があれば地域を広げてgoogle mapの衛星写真を見つつ、ブラウザ・ロケハンを。これも昔はただひたすら走って探すしかなかったわけで、便利な世の中になりました。

日本が誇る名車、ランドクルーザー。

 TOYOTA Landcruiser

サハラ砂漠を疾走するランドクルーザー。複数台で走っていますが、巻き上げる砂が視界を奪うため数車分オフセットして走ります。さながら戦闘機の編隊飛行。※戦闘機が編隊を組むと燃費が向上します。

「極地や紛争地にランクルあり」とはよく耳にしますが、実際にそのようなシーンで何度も見かけました。

このカットを撮影した際には、あまりに踏むので驚きましたが。。

バイブ

 Behind Sceans , Sepang Circuit , motoGP

モータースポーツの撮影を4輪・2輪を問わず行います。けたたましいエキゾーストノートがレースの代名詞でしたが、4輪であればダウンサイジングターボの関係で低音に。2輪であれば、最早狂気と言うべきパワーウェイトレシオの関係から、不等間隔爆発サイクルのエンジンを搭載。結果として4輪と同じく低音に。あのどこまでも狂おしく突き抜けるような高音を望むのは、最早ノスタルジーなものなのでしょうか。

モータースポーツというものは不思議なもので閉鎖系のサーキットをぐるぐると同じように廻り、コンマ1秒を削るためにまさに命を削ってドライバーやライダーは走ります。コンマ1秒タイムを削ることが出来れば、限界を向こう側へ数メートル押し広げられる。ドライバーやライダーはそんなことを考えて走ってるのでしょうか。おそらくそんなものではない気がします。理屈や理由の説明は取ってつけたようなもので、走ることでしか解決できないような魂の燃焼といったところなのでしょうか。あのけたたましいエキゾーストノートは、そんなバイブから鳴るもののように感じていました。

どんな世界も「やりたい奴がいた」というところからスタートするように思います。レースであれば、ただひたすらに速く走りたい奴が居たというように。時の流れとポピュレーションの増大は、やがてシステム化を促していきます。より速く、より人を呼び、よりマネタイズを。あらゆる要素が濁流のように流れ込み、いつしか実像が見えなくなるほどに巨大化していきます。これはあらゆる世界において同様なのかもしれませんが、低くなったエキゾーストノートはそんなことを少し考えさせられます。

話は変わって、モータースポーツを捉えるのに難しいと感じるのは「音」を写すこと。むろんそんなものは写るはずもないのですが。

マテリアルとしての鉄

DSCF1386.jpg

車とバイクのカットを掲載するために作ったギャラリーページのため、自転車の入れどころがなくこちらへ。車やバイクと同じように好きな被写体でよく撮影します。

動力が人力のため、自転車の姿は無駄を削ぎ落とした美しさがあります。今時のものはハイモジュラスカーボンをマテリアルとして必要な強度と剛性を確保しつつ、空力を考慮した設計のため、現代の車よりも"未来“を感じさせる姿のものが多いように感じます。

長らくクロームモリブデン鋼がフレームのマテリアルとして用いられていましたが、そこからアルミ、チタン、カーボンと移り変わっていきました。それは軽量化の歴史。クロモリは重いのですが、フレームは最も細身であり、当時主流だったホリゾンタルフレームには普遍的な美しさが宿るように思います。

よくクロモリは「優しさを感じる乗り心地」とのように表現されますが、マテリアルの如何に関わらず設計によるところが大きいと思います。ただ乗り比べてみると、重量感がそう感じさせるのかどうかはわかりませんが、クロモリフレームの自転車には”芯”を感じます。アンコとでも言えばよいでしょうか。

クロモリフレームにシングルスピードのギヤリング、見ているだけで嬉しくなるような美しさを感じます。

思考停止、後、染まる。

 AlfaRomeo GTV 2.0 T.SPARK

イタリアとフランスの車は、解釈に困るデザインのものが多いように思います。いわゆる「思考停止」というもので、初見では「どうしたらこうなった?」と首をかしげてしまうのです。

首のかしげ方でも、オーナーがカスタムなりを施して元の姿を超えていくものもあります。たとえば古いカワサキのバイクやハーレーなどに代表されるもので、ラインオフした姿は「素材」であるというものです。

しかしイタリアとフランスの車で思考停止に追い込まれるものは、その姿で完成されているのです。あとは乗るか反るか。その車が放つ世界に染められるのか。お国柄の違いなのか、日本車でそのようなデザインのものは生まれにくい傾向にあるように思います。唯一、日産のフェアレディZ(Z32型)が同じような印象を受けます。

写真のAR GTVは、街中で初めて見たときに思わず二度見しました。

「こうしたい」

そうやって鉛筆を走らせない限り、世に生を受けなかった姿のように感じます。

ドライバーにとっての景色

 Simca Rallye2

車の内側はドライバーにとって最も長い時間見ている景色で、その車を思い出すときに最初に脳裏に浮かぶ景色かもしれません。ファインダーを覗くとき、いつもそんなことを考えながらフレームしているような気がします。車の設計者は、どのように内装の設計を行っていたのでしょう。特に60年代あたりでの作業について話を聞いてみたいものです。